2016年2月11日木曜日

大阪の真田信繁 ゆかりの地めぐり その2

前回からの続き
大阪の真田信繁 ゆかりの地めぐり その1

大阪城公園からスタートして玉造稲荷まで約2.7キロ
子供はこの辺りから文句を言うたり
だらけたりしだしします
伊賀越えの家康でいうとこんな感じです↓

しかし、昼食を空堀通り商店街で予定してる私は押し通ります

玉造稲荷から長堀通を渡ってすぐに三光神社はあります

幸村公はこの辺りに出城を築城し本陣を置き
この出城より大阪城まで地下に道を掘ったと言い伝えられ
三光宮鎮座の階下に「抜け穴」として
その遺構があるとされています

御朱印は真田山の文字と六文銭の判
大阪七福神巡りのお寺としても知られています


三光神社から宰相山西公園を回りこむように歩くと心眼寺です
豊臣以降、大阪は徳川の直轄地となったため
ここに豊臣方の墓所を建立することが許されなかったそうです
しかし、冬の陣から400年の2014年に建立されたそうです
そしてここはタモリさんならずとも段差が気になります


心眼寺山門前の明星学園をぐるっと回りこんだ所にあるのが鎌八幡です
幸村公はこちらで祈念して神木に釜をうちつけたところ
大いな戦勝を上げたと伝えられています
現在は悪縁切りで厚い信仰を集めています
境内はなかなかの雰囲気でした
鎌八幡さんのホームページをよくご覧になってから
ご参拝ください


谷町六町目から天王寺までは地下鉄谷町線で天王寺へですが
谷町六丁目付近はプリンセス・トヨトミの舞台となった街です
本の挿絵の風景を探したり、物語の空気を感じにいくのも
楽しそうで良いのかも知れません
何故、中井貴一さんにお好み焼き屋の大将させたのかは
納得は出来ませんでしたが・・・


天王寺公園を抜けて家康公を追い詰めた茶臼山を経て
幸村公最期の地である、安居神社へ
どうでもいいことですが、JR天王寺駅コンコースの天女像の場所が
めっちゃ悪い場所になってました
四天王寺のお膝元としては不適切な表現ですが
天王寺・阿倍野界隈の待ち合わせのメッカと言えば
私の学生時代は「JRの天女、近鉄の伝言板」でした
2強と言うと「ゴチビル前」から待ったが掛かりそうですが
あの玉造出身の岡田彰布氏も
「そら、お前あれとあれよ」と仰ったそうです(嘘)
さておき「天女」には大変お世話になったものです
もうちょっとなんとかならんもんなんでしょうか
切符売り場の上やし、他所向いてるし


安居神社さんでした
一心寺さんの道を挟んだ北側辺りですが
私が入った一心寺さん側は表参道ではないようです
茶臼山から目と鼻の先のこちらの境内で傷ついた体を
休めていた所を松平忠直家臣の西尾宗次に発見され
「わしの首を手柄にされよ」と
言葉を残して討ち取られたそうですが

このシーンの堺雅人さんのモノマネをする
松村邦洋さんまで想像出来てしまいます



御朱印には真田幸村公戦死の地と
ここにも六文銭


子供連れで九時半に出発して夕陽丘駅に三時頃到着
気軽にしっかり歩ける良い散歩道でした